ポケモンGOがリリースされて2週間ほどか。世界各国で流行ったこともあり、外的要因に弱いジャパンでも見事に流行った。乗せられたというべきか。
僕が見ているブログでも、一部を除いてポケモンGOの話題ばかりだった。アクセス数を稼ぐため!という感じで、厨二病気質のほぼ三十路の僕は、「はん!いままで絶対興味なかったやろ。」「ポケモン世代じゃないでしょたぶん。」「攻略ばっかりで、感想がねぇ…。」という感じで、他者ブログを冷ややかな気持ちになってみていた。
少し冷めた気持ちになりつつも、やはり待ちわびていたポケモンGO。プレイしてみるとやっぱり楽しい。多数のユーザーがいるからこそか、全く知らない人にも仲間意識が芽生える。「あぁ、ポケモンを集めるためにこの時間に歩いているんだな。」「夏休みの息子たちを引き連れて、土日にお父さん頑張ってんね!」とか。
一方、全くに知らない人に仲間意識ができつつも、よく知っている人たち。いわゆる、友人と言われる人たちには、まったく仲間意識ができない。訂正しよう。近場ですぐに会える友人たちとは、ポケモンGOを通しては仲間意識がない。
遠くにいる友人や隣県の友人とは、ポケモンGOやモンハンで一緒にプレイしたりするのに、僕の近場にいる友人は、腰が重い。まったく流行りものをやろうとしないのだ。
いや、ポケモンGOの発表当初から、テストが始まったときにも僕は誘い続けていた。つまり、流行る前から誘っていたのだ。「ポケモンやろうぜ!」と。つまり、流行りうんぬんかんぬんというわけではない気がする。
なぜ彼らはポケモンGOをやろうとしないのか。というか、ポケモンではないのだろう。僕のゲームの誘いをことごとく断っている気がする。デジモン…将棋…モンハン…イングレス…
そのくせ、ギャンブルであるパチンコ・スロットーというまさにソロでコソコソとやるような競技は、なぜか乗り打ちや一緒に打ちに行くということをしたがる。
もちろん、ギャンブルはみんなでやった方が盛り上がるという方もおられるだろう。僕も競馬のような、同じレースをみんなで見られる馬のスポーツなら、一緒にやった方が楽しい。競馬場に出向いたことはないが、大きいレースのときならみんな手拍子を始め、とても盛り上がる。
しかし、パチンコーというのは、各自一つの画面でそれぞれのゲームの演出を楽しむことが多いので、非常に共感しづらい。なので、パチンカーやギャンブル性の高いものは、僕は一人でやるものだと考えている。
なぜなのか。
そうこれは、ツレションとソロションの考えと一緒なのだ。
女性男性と分けるつもりは、まったくないが。女性はなぜかツレションをしたがる。
そう。ポケモンGOは女性のツレションの心理。とりあえず、周りがやっているから私もしよう!という、ションがでるわけでもないのに、なんとなく周りについてションをする。気持ちが盛り上がっているわけでもないのにションについてくる。あれと一緒なのだ。流行りというのは、ツレションと一緒。
では、彼らは流行りに乗らないから、ツレション派ではないソロション派なのだろう?と思うだろう。それは残念ながら違う。
ある一定のソロでいけよ。と思うものには、なぜか人を引き連れていこうとするのだ。
そう彼らは、ツレウン派なのだと僕は思っている。僕は、ウンコというのは、うんこのブリブリ音が聞かれるのが恥ずかしいので、ソロで行きたいのだ。
しかし、彼らはそうではない。
だいたいの人がソロウンを好むであろう中、彼らはツレウンを好むのだ。
ブリブリ音を聞かせ合い、ウンコについて語っているだろう。
変態かよ。